郡山

健と奈々は元気?

年末の28日小樽発の新日本海フェリーに飛び乗り一路新潟へ。
翌日早朝6時に新潟着。約20時間の船旅。今回は揺れました。

今回帰郷の目的のひとつに「健と奈々との再会」がありました。
「健と奈々は私の甥っ子達。」原発の問題が発生して札幌へ約3週間疎開していた二人。
久しぶりに再会です。

新潟到着後磐越道をひた走り郡山へ...
正直街の様子はどうなんだろうと思いつつまた不安を抱えながらの訪問。

街は想像していたよりも何の遜色もなく普通の状態。
何だとこの時はみんな元気に生活している。もう普通に近づいてきているのだろうと勝手に思い込んでしまった。

そして健と奈々に再会。
二人とも元気だ!!
大きく手を広げ奈々....と近寄って行ったが避けられた。小6の女子にはきもいオヤジと思われたかもしれない。
でも元気でよかった。

早速二人の家を訪問。そして想い出話に花を咲かせる。楽しいな。
と思ったのもつかの間.....
話題は放射能の話に...

街は至って普通なのに、そこには放射線があった。
健と奈々も学校から支給された線量計を常に携帯している。
家にはガーガーカウンターが常備されている。実際に目にしたのは初めてであった。
そしてそれをスイッチオンするとあっという間に数値が上がる。
これが目に見えない恐怖なのであろう。

無知な私はもちろん除染は進んでいるんでしょ?などと質問してみた。
答えはこうだ。
除染?こんだけの広い土地、かき分けた土壌の処理方法も決まっていない状態。除染なんてできるわけないでしょう。そのまんまだよ。手つかずさ。
ましてやマスコミもいいところしか報道しない。グレイな部分の問題定義すらしない。ここは見捨てられた土地なんだ!!
子供達の甲状腺異常が心配なんだが福島県内にはそれを検査する機器が4台しかなく一通り検査が終了する迄約2年かかる。こんなこと近代日本に住んでいてあり得るだろうか?

何も言えなかった...
無力である。

実際に年末から年始にかけて放射線量が急激に上がった。5月くらいの高い線量になっていた。このことはほとんど報道されていない。原因不明だが警報すら出ていなかった。

こんな状況である。
でも人々は懸命に明るくふるまい前を向いて生きている。
力強く生きている。

微力でも何かできることをする。
みんなの微力が合わさって大きな力、支援になることを期待するしかない。

2012-01-10
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